人間が「解決したい」と思う要素は
- 不便
- さびしさ
に大きくわけられる。
「不便」も「さびしさ」も、ともに人々の生活に深く関わる問題という点では同じだ。
だが両者の解決方法は異なる性質を持つ。
たとえば
- 「不便」を解決する「ハサミ」
- 「さびしさ」を解決する「ネコ」
を対比してみよう。
かたやハサミは便利だが、切りたいものが切れたら「用済み」という宿命がある。
次に切る必要が現れないと使われない。
(背中をかくときに使う強者もいるが)
一方、ネコは役に立たないけど、継続的に必要とされる。
いないと「さびしい」と感じる人が多い。
いったんネコとの生活が始まったら、もはやその不在は想像できない。
生活の中にネコが入ってきたが最後、ネコがいないと欠乏感を覚える。
ネコは生きものだから世話をする必要があり、金と時間がかかるが、そのこと自体が喜びとなる。
出張中などで会えない日が続くと「元気かな?」と思い出す。
よそのネコを見たるたびに「うちのコ」を思い出す。
帰宅後に無事再会を果たすと満ち足りた気持ちになる。
満ち足りたからといって、そのあとネコを道具箱にしまうことはない。
ずっとそばにいてほしいと思う。
ま、ネコはツンデレなので、こっちがいてほしいときにいてくれるとは限らないのだが。
▽
「不便」を解決するハサミは、用済みになったら片づけられてしまう。
用がないときのハサミはインテリアにもなりにくいし、だいいち危ないからだ。
しかし「さびしさ」を解決するネコは、そもそも用済みにならない。
片づけられることもない。
ようするに、「不便」は発生したときに解決策があればそれで済む話だが、「さびしさ」は継続的に解決策が存在し続けなければならない。
「不便」は物理的に解消できるが、「さびしさ」は、単に物理的な状況を変えるだけでは解決できない。
ハサミは、ちゃんと切ってくれるなら安いのでかまわない。
だがネコはそうはいかない。
同様にカワイイなら、もっと愛想がいいネコに変えよう、とはならない。
食事代などの維持費が安いネコのほうがいいや、ともならない。
よそのコと比較することがない。
なにより恐ろしいのは(笑)、
ネコは「便利」という意味ではなんの役にも立たない
というところだろう。
▽
この違いを
- 会社のビジネス
- 協会の活動
にも当てはめられるように思う。
会社は、製品やサービスを通じて、人々が直面する不便を解消しようとしている。
身の回りの生活用品やサービス、医療機器や情報技術製品などはすべてその例であり、これらが人々の生活をより快適で便利にするために提供されている。
いっぽう協会は「不便解消」という点ではあまり役に立たない。
それよりも、人々が抱える「さびしさ」を解消するのに使えると言えそうだ。
現代社会では、高齢化や個人主義の進展などの要因で、人々の孤独や社会的孤立が深刻化している。
そんななか、協会は、
「考えが共通する人々」が集まる機会
を提供している。
出会いや交流を提供し、社会的な孤立感を解消する存在でもある。
協会はそういう存在になりたい。
「あなたがいなくて、不便です」
「あなたがいなくて、さびしいです」
あなたはどっちを言われたいだろうか?