自覚のない人々
何度か同じことを書いたと思うが、日本人は強い同調圧力のもとで長く学校生活を送った結果、自己主張を控え、他者の意見や反応を気にする大人に育つ(ことが多い)。
むろん、環境に負けない人や、同調圧力を客観視して自分の殻を破れる人も当然いる。
だが大部分は同調圧力のもとで育っているし、自分が同調圧力のもとで育ったという自覚がない。
そうした人々を協会総研では「ヒツジ」と比喩している。
日本人の大多数が「ヒツジ」であることを意識することが、協会運営上、重要だ。
日本の学校では、同調圧力が「無行動」の状況を生む。
授業で手を挙げない生徒が量産されている。
会員が活動してくれないのを悩む協会は多いが、原因の1つはここにあるだろう。
協会が悪いのではなく、日本の教育環境に問題がある。
同調圧力はどちらにも向く
しかし同調圧力には、じつは
- 後向きの同調圧力
- 前向きの同調圧力
両方がある。
同調圧力が行動を促す力になるというケースが、あるというのだ。
後ろ向きの同調圧力
日本の大学では毎年4月に新入生向けのオリエンテーションが行われるが、その様子を観察してみよう。
新入生どうしが初対面の段階では、まだクラスの雰囲気が安定していないため、学生たちはどう行動すべきか分からず、戸惑っている。
したがって多くは控えめに行動する(そのように育っているから)。
中には目立とうとする学生がいるが、その学生への周囲からの視線は冷ややかであることが多く、教室は緊張している。
結局、目立とうとした者も含めて学生たちは発言を控えるようになり、クラス全体が静かになる…これが一般的なパターン。
前向きの同調圧力
ところが時々、異端児みたいな人や、留学生や帰国子女などがいて、場の空気とは関係なく自由な発言が続くこともある。
周囲から奇妙に思われても気にしていない。
すると、だんだんと、他の学生も同調して発言するようになる。
ただしこれはあくまで同調。
「言いたいことがあるから言い始める」というわけではない。
何か言わなくてはいけない雰囲気にのまれ、やむなく発言する、が実態に近い。
やがて、「発言しないと取り残される」そんな空気が濃くただようようになる。
発言を促す同調圧力だ。
その時点でまだ発言していない学生は、「なにか言わなくちゃ」というプレッシャーにさらされる。
すでに発言した人は、「予防接種を打ち終わった後のようなほっとした解放感(自分は発言したから義務は果たした。もう発言しなくてもいいという解放感)」を味わっている。
実態の感情はどうあれ、こうしてクラス全体がにぎやかになる。
同調圧力を活かそう
この例は、「同調圧力が無行動を生む」を「同調圧力が行動を生む」に変えるためのヒントになるかもしれない。
前述した現象は、
「日本のような同調圧力が高い社会でも、その結果が無行動であるとは限らない」
ということを示している。
会員がヒツジばかりでなかなか活動してくれない、と悩む協会は、発想を変えて
「活動しなくてはいけないような同調圧力」
を生み出すことを考えてみるのもよいかもしれない。
ただし、いずれにせよ背後にあるのが同調圧力であることに変わりはない。
ヒツジはいつまでもヒツジ。
「活発なヒツジ」になることはあっても、ヒツジはオオカミにはならない。
表面上、自分から積極的に発言し行動しているように見えても、それが本当に自分の判断と意志によるものとは限らない。
ま、もっとも、協会としては会員が活発に動いてくれればそれでよいのだが。
最後に
協会総研が作った小冊子「協会のセオリー」には、ヒツジを考慮した協会戦略について書かれている。
お持ちの方は多いと思う。
この機会に読み返していただれば、こちらも嬉しい。
「協会のセオリー」
まだ読んでいない方はこちらから
https://note.com/kyokai_soken/n/n1870cf44f03c