人は、
「どの場所に存在し、どのような雰囲気や感情、文化に触れているか」
よるするに
「まわりにどんな人がいるか」
によって影響を受ける。
予想以上に影響を受けるようだ。
わかりやすい例を挙げると、音楽家の家庭で育った子供は音楽家を目指しやすい。
音楽に親しむ度合いが多いのもあるが、音楽家になることに「現実感」があるという要素が大きい。
医師の家庭で育つと医師になりやすいのも世の中あるあるの1つだ。
ふだんから親の様子を見ているし、医師になることに「現実感」があるからでもある。
好き嫌いはともかく、医師になるという選択肢は現実味をもって存在している。
同様に、実業家の家庭で育った子供は、なんだかんだと、ビジネスの話題に触れる機会が多い。
将来ビジネスをしている自分を、夢ではなく「現実感」をもって想定している。
想像ではなく、想定だ。
したがって、起業家としての道を歩む可能性が高い。
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このことから言えるのは、
「○○になりたい」という願望があるなら、その目指す存在を身近に感じられる環境やコミュニティに身を置くことが重要
ということかもしれない。
おそらく「現実感を得られる」というのが最大の理由だと思われる。
メンターみたいな存在になりたいなら、すでにメンターである人々と関わる。
起業家になりたいなら、ビジネスを回している人と接する時間を増やす。
「先生」と呼ばれる人になりたいのならば、先生と呼ばれている人々と交流する。
起業家になりたいという目標があるのに、会社員としての日常生活を続けたり、近所の人々やママ友と過ごしたり、というだけでは、その目標は達成が難しい。
(その生活が人として良いか悪いかという問題ではなく、あくまでも目標達成の観点からのコメントだ)
目標が明確であれば、それを現実化している人々と時間を共有するのが合理的。
目指す存在が明確でない場合でも、少なくとも目指す存在に近いと考えられる人々との接点を濃く持ちたい。
「現実感」とはどういうものかを知ろう。
▽
以下は余談だが、協会の果たす役割にも似たような部分があるかもしれない。
むろん協会の場合は「起業する」のような強い目標を持つ人が集まる場とは限らない。
協会のテーマによる。
とはいえ、共通の関心を持つ人々が集まり、情報を共有し、互いに刺激を与えあい、学びあう場所が協会である、という意味で、
協会は「環境」と「現実感」を提供する存在
だと言える。
協会を通じて互いに接点を持つことにより、一人一人がより高い理解と洞察を得ることができる。
協会は自然とそのような場所となる。