日本語には「痛い」という言葉があります。
通常の「苦痛」を表す以外に
- 当人よりも、はたから見ているほうがみじめに感じる
- 見ていて恥ずかしい、哀れに感じる
そういった状況を「痛い」と形容します。
わざと漢字を使わず、「イタイ」「イタい」と表現することもあります。
どういうときに、この「痛い」状況が起きるのか…。
たとえば
「(筆者のような)中年のおじさんが若者のコミュニティに予習もしないで無遠慮に入り、必死に馴染もうとする」
といったケース。
これはリアルなコミュニティでもSNS上のコミュニティでも痛さは同程度でしょう。
余談ですが、その反対に中年のおじさんのコミュニティに若者が入ってきても、たぶんそれほど痛さは感じられません。
むしろ好感が持てたりします。
中年のおじさんにとってはじつに不公平な話ですが、しかたがありません。
中年のおじさんも若者だったころには当時の「痛い」中年のおじさんをコミュニティから排除してきたのです。
因果はめぐると思って受け入れるしかないでしょう(笑)。
どのような行動をわれわれ日本人は「痛い」と解釈するのでしょうか。
どのような行動ならわれわれ日本人は「痛い」と思わないのでしょうか。
協会をするなら、これを普段から研究しておきたいものです。
じつは、この「痛い」のセンスは協会を作るうえで重要です。
なぜなら、ほかの国ではともかく、少なくともこの国、「恥」の文化が根強い日本では、
「痛い人」が作った協会は絶対にうまくいかない
からです。
なので協会を順調に回したいなら、
「痛いか、痛くないか」
に関して敏感でいることを、おすすめします。