世のなかの講座には、
- 安そうにみえる講座
- 高そうにみえる講座
があります。
講座を提供する側(主催者)も、まともな感覚の持ち主なら、そのことは自覚しているのがふつうで、
- 安そうな講座には安い受講料
- 高そうな講座には高い受講料
を設定して出しています。
その結果、無料やワンコイン程度の講座もあれば、数十万円の講座も存在しています。
- かたや、高そうに見える
- かたや、安そうに見える
という現象も頻繁に起きています。
いいかえると、
良い講座を作ったにもかかわらず、それが評価されない
というケースが多いのです。
「高そう、安そう」の違いは、どこから生じているのでしょう。
構図その1:講座の事業と、野菜の事業
この構図は、「野菜の販売」と、どこか似ているようにも思えます。
野菜の場合、
家庭菜園や市民農園でできた野菜も、プロ農家が作った野菜も、味そのものには、本質的な大差はない。
にもかかわらず、家庭菜園や市民農園で収穫された野菜は無料で配られることが多いのに、プロの農家が作った野菜は、基本的に有料で販売されている。
といった構図があります。
講座の事業と、野菜の事業…
扱うものは違いますが、「構図」には共通点があるようです。
主催者はだれか
講座の価格感、つまり、
「高く見えるか、安く見えるか」
を生み出す要因はいろいろありますが、代表的なものを挙げてみます。
「だれが主催者か」により、受講料の感じ方が変わります。
- 野菜でいうと、家庭菜園や市民農園の野菜は有料には見えませんが、プロ農家が作ると、有料に見えます。
- 講座の場合、主催者が自治体であったりママサークル、ご近所サークルであったりボランティア団体であったりすると、講座は高く見えません。
そういう意味では、講座をする母体として協会を作っておくことには、メリットがありますね。
本業かどうか
家庭菜園や市民農園の野菜が有料に見えないのは、
それが本業でないことを受けとるほうも知っている
という理由もあるでしょう。
いっぽう、スーパーで野菜を買うとき、わたしたちはそれが「野菜づくりを本業とするプロ農家が作ったもの」であることを知っています。
講座でも似たようなことが言えます。
本業でない人(や団体)が作る講座は高く見えません。
たとえば商品を販売している会社が講座をするときなどにありがちなのですが、「自社商品の売上を伸ばしたいから講座をやっている」という意図が見えすいてしまうことがままあります。
つまり、「講座が本業でない」ことがバレバレ。
すると、講座は高く見えません。
そういう意味では、講座を本業とする協会を作っておくことには、メリットがありますね。
構図その2:カルチャースクール的構図
野菜の事業とは別の構図で、もう1つ、講座の価格感、つまり、
「高く見えるか、安くみえるか」
を生み出す構図をあげておきます。
似たような規模の講座をいくつも並べてしまうと、カルチャースクールのように見えます。
「いろいろ講座があるから、お気軽にどれでもどうぞ」
というやつです。
カルチャースクールに見えてしまうと、講座は高く見えません。
「気軽なもの」に見えます。
気軽な講座は、
「ま、今じゃなくてもいっか。そのうち受ければ」
と思われやすく、あまり人の意識には残りません。
これは
「講座のコモディティ化」
と呼ばれる現象です。
コモディティとは、
「そのへんにありふれている価格の安いもの」
を意味する、ビジネス用語です。
講座の価格感を上げようと思えば、カルチャースクールのように見せないことも重要。
まとめ
講座の本来のクオリティとは別に、
高い講座に見えるための要素
というものがあることがわかりました。
それは、
主催者がしっかりしている
講座を本業とする
カルチャースクールにしない
この3つです。
(追伸)
じつはもう1つ、高い講座に見えるための要素があります。
次回はその話を。