あなたは孤独ですか
あなたは孤独ですか。
ある意味、おそらく孤独です。
なぜなら、ほとんどすべての人はなにかしら孤独だから。
孤独な「人」
家族の仲がよくても孤独を感じるときはあるでしょう。
友達に恵まれていても孤独に思う瞬間はあるでしょう。
ほとんどすべての人はなにかしら孤独です。
その証拠に、「孤独」の反対語としてぴったりの言葉が見当たりません。
「にぎやか」ではおかしいし、「つながっている」「絆」というのも、そのものズバリではない少し違う気がします。
「孤独」の反対語としてそれらしいものが見当たらないのは、孤独でないものはない、という世の摂理を象徴しているのかもしれません。
コミュニティのポジティブ
もっとも、誰でもなにかしら孤独だといっても、「孤独」の種類は人によって違います。
たとえば仲の良い夫婦でも、お互いの趣味が違えばその部分が孤独。
美容に熱心な妻は美容の話ができる人と集まって話をしたいでしょうし、釣り好きの夫は釣り仲間と集いたい。
つまりこの夫婦は「夫婦(家族)」という切り口では孤独ではないけれど、「美容」「釣り」という切り口だと孤独になるので、それを満たすコミュニティが必要とされます。
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しかし、どんな形でもコミュニティでさえあればそれでOK、というものでもなさそうです。
美容に関心のある人が、「ただただ集まってお茶を飲みながら美容の話をするだけ」、というコミュニティにいつまでも満足しているとは考えにくい。
だれかが
「せっかく美容好きが集まったんだからみんなで何かしようよ」
と言いだして
「そうだね」「いいね、いいね」
という話に発展するのが人間の性(さが)。
釣りも同じです。
いつもただただ集まってビールを飲みながら釣りの話をしているだけ、という状態では物足りず、
「みんなで何かしようよ」
という話になりやすい。
で、活動が始まります。
活動が始まるとメンバーが増えていきます。
特殊なコミュニティをのぞき、ほとんどのコミュニティは仲間が増えることを喜びます。
つまりコミュニティは大きくなりたがる性質があります。
コミュニティのネガティブ
いっぽう、コミュニティに所属すると、大なり小なり何らかの不自由が生まれます。
強力なコミュニティほどその傾向があります。
会社組織に所属すると多くの場合、平日の日中を社内で過ごさなければなりません。
(働きかた改革がやかましい昨今では少なくなったようですが)みんなが残業しているのに自分だけ「お先に!」とは言いにくい同調圧力もあったりする。
PTAに所属すれば行事やらなにやらで駆り出されるし、お昼の食事会の誘いも断りにくい。
学校の部活がとくにスポーツ関係だと私生活も含めて部活優先になっていく無言の圧力がある。
小学生くらいだと学校でお腹が痛くなってもお手洗いに行きにくい、そんな雰囲気ができてたりする。
…コミュニティの不自由さです。
中世の封建社会では人は地域コミュニティにかんじがらめに縛られていたようです。
当時の人たちがどう感じていたかは分かりませんが、現代人の感覚でいうと不自由の極致だったのではないでしょうか。
協会はちょうどいいコミュニティを目指す
ようするに私たちはなにかしら色々と孤独なので、その孤独を埋めるためにコミュニティに所属したい。
でもコミュニティは強力であればあるほど不自由になる。
「ちょうどいい」のが少ないのでしょう。
だから協会の役割は
ちょうどいいコミュニティになる
ということなのかもしれません。
人はちょうどいいコミュニティを求めている。