はじめに
資格取得における学習は、その全体を理解し、習得することが不可欠です。
しかし、近年では「一部だけ学びたい」という傾向が見られます。
本稿では、この傾向の背景と、協会が取るべきスタンスについて探求します。
学習の全体性を理解することの重要性を伝えることは、協会側の責務であり、会員の成長と発展にも繋がります。
ワガママな人たち
資格講座は「資格」を出すという性質上、あまり簡単すぎるわけにもいきません。
理屈のうえでは
- たった2時間の講座を受けただけで試験も行わずに資格が出る
- だれでもすぐに取れる
というふうに簡単なものを薄利多売的に作ろうと思えば作ることはできます。
だけどそんな資格に重みはないし、もらうほうもたいして嬉しくはないでしょう。
理念でなりたつ協会がそんな適当な資格を出すのはどうかとも思います。
したがって資格講座にはそれなりの内容と難易度、ボリュームが望まれます。
当然、受講料もそれなりの金額になる。
ところが、受講希望者のなかには
- 習いたい科目が1つしかないからそこだけ聞きたい
- 資格講座全体では量が多すぎるので一部だけ受けたい
- 一部だけ抜き出して短時間の講座にして価格も下げてやってほしい
そんなワガママを言ってくる人もいます。
さて、どうしたものでしょうか。
ワガママはもったいない
「一部だけ習いたい」というワガママ相談に対しては
ワガママにこたえて一部を取り出し、ミニ講座にする(むろん資格は出せない)
という対策もあるし、
そんなワガママにはつきあわず、無視を決めこむ
という対策もあります。
どちらでも好きなほうを選べばよいです。
しかし、根本的なことを言えば、
「ワガママが多いのは、全体を学ぶ意味が伝わっていないから」
という問題が背後に隠れています。
だからワガママを減らすには、全体を漏れなく学ぶことがどんなに大切なのか、を伝える必要があります。
だって資格講座には協会の理念が反映されているのだから。
ワガママは寂しい
理念を知らずに講座の一部だけを知りたいというのは、寂しいし、もったいないです。
たとえばスポーツ観戦を考えてみましょう。
「一部だけ習いたい」という人は、スポーツ観戦でいえば
「勝敗だけ知りたい」
「結果だけ知りたい」
というのと似ています。
でもそれでは面白くないのでは?
試合の始まりから終わりまでを体験し、ひいきのチームの活躍や失敗に一喜一憂し、最後に勝敗をともに味わう。
それが楽しいから、そこに意味があるから観戦します。
その醍醐味を知らない人が
「勝敗だけ知りたい」
「結果だけ知りたい」
「記録だけ知りたい」
「順位だけ知りたい」
と言います。
その人は寂しい人かもしれません。
もったいない。
ワガママからの救済
だから私たちはたぶん、
- 観戦することの楽しさ
- 一喜一憂することの醍醐味
をその人に教え、寂しさから救う義務があるのではないでしょうか。
…というように考えてはどうでしょう。
同じように協会の場合も、「一部だけ習いたい」という人は寂しい人。
寂しい人を、その寂しさから救ってあげなくては。
そのように考えて、
「全体を学ぶことの大切さ」
を分かってもらいましょう。
まとめ
「一部だけ習いたい」という傾向に対し、「協会側は、学習の全体性を伝え、理解させることが重要だ」という結論に至りました。
個別のニーズに応じた教育提供も大切ですが、資格の価値を維持するためには、全体的な学習体験を強調し、促進することが不可欠です。
教える側と学ぶ者が共に理解し、協力しあうことで、より豊かな学習体験と資格取得の達成が可能になります。